日本語(どこの国も同じ)には、“
美しいことば”と、“
汚いことば”がある。
さらに、“
忌み嫌うことば”がある。
“
美しいことば”は多分、愛されたことばである。
“
汚いことば”は、愛されることもなく、嫌われることもないことばである。
“
忌み嫌うことば”になると、少しばかり説明が必要である。
例えば、『死』と言うことばは一般に使われることばだが、『死ね』となると、忌み嫌うことばになる。
また、数字の『四』は、≪シ≫と発することにより、避けられる。
“
数の霊力”と、“
言霊”が結びつくのを畏れたためだ。
初夏だと言っている間は良いのだが、新緑も深緑となる。
装いも薄くなり、とりわけ“肉体のほころび”が目立ち始める。
プール開きが始まれば、裸体をさらけ出す。
お腹の弛みを、「軽〜くやばい」ではすまされない。
これなら出来そうと言う“エクササイズ”がある。
但し、効果は三ヶ月後である。
若葉して御目の雫拭はばや(芭蕉)
若葉のやわらかさと、輝きが目に浮かんでくる句である。
しかし、本格的な夏はもうすぐである。
肉体を鍛えなおさなくてはならない。
“かび臭い身体”にしてはいけない。
“錆びついた身体”にしてはならない。
朝の“
水遣り”が気持ちよい。
『早起きは三文の徳』とは、こんなことをさすのであろうか?
「何かしらよいことがある」と思うより、「
何かよいことをした」と言う気分である。
“
朝を大事にする”ことは、一日を大切に生きることである。
“
初夏の風”はやわらかい。
“
芝生の風景”に入りたいと思う。
その芝生の上で、ちょっと寝転んで本を読む。
すると、そのまま眠りの中へ・・・。
ほんのわずかな時間で、癒された気分になる。
“
自然浴”が手軽に手に入れられる場所、みんな持っているだろうか?
五月は、彩りの花より、『若葉』を見ているほうが愉しい。
『若葉』は、“
風と光のコラボレーション”である。
その輝きを見ると、生命が躍動している。
また、“
衣替えの季節”であるが、寒さもぶり返したりする。
努々(ゆめゆめ)、油断召さるるな!
五月の病に落ちこむべからず。
季節の和菓子。
マスカット オブ アレキサンドリア。
“
マスカット”つまり葡萄である。
和菓子の銘を“
陸乃宝珠”という。
このすばらしい銘を付けたのは、岡山市の“
源吉兆庵”
しかし、この淡いエメラルドは、ごく親しい身内にこそ、かがやきを増す。

4月下旬から9月下旬(マスコットの収穫量に限りがあり品切れとなる場合がございます)
もうひとつ、注意書きをするなら、“
種がある”ことも・・・。
“
からだが身体をなおす”とは、奇妙奇天烈な表現である。
薬より、『食』で健康を保って欲しいということである。
『食』とは、“
旬を味わう”ことを言う。
“
旬の食べ物”は、からだの内側からツボをおさえてくれるような気がする。
母の日(5/14)に、“
養命酒”を贈る。
母も喜んでくれたけれど、1000MLじゃなくて、700MLにした。

次には敬老の日にも贈りたいと思うからだ。
何の根拠もないが、『
からだの悪いところは、身体で治すべきだ』と思っている。
それは、“
からだの元気”を願ってのことでもある。
「それならもっと他に」と言われそうだが、医薬品に頼りきるのじゃなく、身体に聞くということをして欲しいのだ。
雨が降っていたけど、小降りなので、自転車で出かけたら、途中でパンクしてしまった。
自転車で15分ほどの道のりだから、押して帰るのに30分以上かかった。
幸いにして、傘をさすほどではなかったけど、できるだけアーケードの道を、選んで歩いた。
商店街もあれば、公設市場もある。
狭い公設市場では、「
自転車から降りて押すように」と掲げられている。
まるで模範生のような気分で、家に帰ると、お茶菓子が用意されていた。

その茶菓子の名を、“
カーネーション”と言う。
ゴールデンウィークの、天気の良い一日を選んで、毎年、県境を目指して走りつづける。
日焼け止めなど、塗ってないものだから、丁度今頃、腕の皮がポロポロ剥けてしまう。
五月は、紫外線がいちばんキツイ。わかっていても、朝早くから出かけるので、肌に心地よい風が吹きつけてくる。
これが、堪らなく気持ちが良いので、クリームで隠すと言うようなことはしたくないのだ。
“そんな柔肌じゃねぇ!”とばかりに、準備もせずに出かけてしまう。
長いところで往復八時間、道に迷えば、一時間から二時間も狂ってしまう。
乗り物というのは自転車である。
一皮剥けば良い男と言うわけにはいかない。
近寄り難いケロイド状態だ。

良い男というのはケアが必要である。
男らしさには、繊細さも備わっていなければならない。
昨日、“
サッカーの日本代表”の試合を見に行った。
やはり、テレビと違って、臨場感あふれているのは当たり前か。
誰がどう動いているかについては確認できないけれど、みんなの動きはわかる。
サッカーは効率の良い動きがなければ勝てないが、いかにスペースに走りこむかである。
今度のドイツ大会は“
チームガイスト”を謳いあげている。
それぞれのチーム魂が、どんな美しい試合を見せてくれるのか、楽しみである。

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どうしても、“
忘れえぬ人々”がいる。
そこには亡き、父と伯父がいる。
伯父はいつも、ここのコーヒーが美味しいと、ケーキを持ってきてくれた。
父と伯父は、小学校からの親友である。
“
伯父”と言うからには、その妹がぼくの母である。
伯父には、育ったぼく達の家が、余ほど居心地が良かったに違いない。
“
ゴールデンウィーク”とは、よく言ったものだ。
その黄金週間に、誰もが急き立てられているけれど・・・。
休日はのんびりじゃないんだ。
学習が一杯詰まっている。
『銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも』(山上憶良)
輝きがまさるのは、家族の笑顔があるからだ。
この五月は、親にとっても“
家族週間”である。
子どもたちは、家族と一緒にいるひとときが、とても嬉しいのだ。

“
旧石器人のアトリエ”(竹内街道北側)が羽曳野市古市にある。
遺跡だから、子どもたちの遊び場じゃないけど、“
学習という遊び”をしていきたいものだ。
五月の風は気持ちよい。
『燕(つばくろ)を見てをり旅に出て見たく』(稲畑汀子)
燕が来るのは三月頃、しかしよく見かけるのは四月の巣燕。
忙しすぎて、“
南”の話が聴けない。
仕方なく、ブラッと走りたくなる。
ジョギングじゃなくて、もちろん車でもない。
我が家の唯一の乗り物は“
自転車”である。
そんな“
自転車”だからこそ、思いのほかの“
風情”に出会ったりする。

泉南市信達牧野熊野街道沿いの梶本邸(泉南市信達牧野)の“
野田ふじ”です。
五月五日(AM8:00より)には花房を刈りとって配るということでした。
一日はまだ立夏ではないけれど、五月は
初夏の雰囲気である。
若者たちは躍動するし、家族らの談笑も聞こえてくる。
彩りの花より、若葉がまぶしい季節なのだ。
一気にいのちが躍動する季節なのである。
“
エラン・ヴィタール”(生命の躍動)−このことばを聞いたとき、なんて美しいことばであろうと思った。
フランスの哲学者ベルグソンを、忘れ得ぬ人にした一言である。