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智者猫の図書

春は“幽玄”の趣がある。
幽玄”といえば≪お能≫であるが、謡曲などを聴いても、理解することができない。

春は死者をも甦らせる。
死者と生者が、ことばを交わすのが聞こえてくるといえば大げさであろうか?








智者猫の歳時記

春のカーテン”を開けると、とどけようと準備をしている、夏の陽射しが見える。
植物園へ行くと、春の花が虫を呼び、夏の花が人を呼びこもうとしている。

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パンジー・チューリップ・ポピーなど、色とりどりの春の花がまぶしい。
その中にあって、この“ライラック”に落ちつきを感じる。

紫に落ちつくのも妙だが、人がみな、カラフルな方へ、明るい方へと向かうから、観賞する人の少なさが、落ちつかせてくれるのだ。
さて、この英名の“ライラック”と、仏名の“リラ”、一般的にどちらの音感を好むのだろう?
あるいは、使い分けをしているのであろうか?



智者猫処の居候

眠れないからと言って、睡眠薬を用いるのはどうかと想う。
夜中に目を覚ましても、薬は効いたままなので酩酊状態である。

春は曙』と言う。
そんな季節を味わいたかったら、やはり小鳥たちの朝の声に起こされたいものである。

春は朧』と言う。
そんな夜の気配を、音で感じてみるのもよいのじゃないだろうか?

曙と朧”、こんな一日の始まりと終りを見逃すことはあるまい。
そのためにも心身は、いつも健康でありたいものである。
朗読CDシリーズ「心の本棚〜美しい日本語」心にしみいる名俳句200選








智者猫処の居候

いちばん最初に『春』を感じさせる食材はなんだろう?
関西では“いかなご”かな。

もちろん“蕗の薹”という年配の方もおり、「儂、“若布”好きでなぁ」と言う酒好きな方もいる。
中には、上品な顔立ちの女性が“タラの芽”をあげたりする。

菜の花”も食したりするし、“”の汁物もよい。
しかし、何よりも美味しく感じるのは春野菜ではないだろうか?

春野菜って何を指すの?と訊かれても応えようがないが、春は何を食べても旬を味わう季節だ。
筍の木の芽和え”などが出されると、季節のコラボレーションを味わっているようだ。







智者猫処の居候

昨日、自然史博物館で“地球科学講演会”があり、聴講した。
『長い時間と広い空間からみた現在:気候と環境』
      (講師 増田富士雄氏 同志社大学工学部環境システム学科)

何万光年という宇宙の話なら、頭も変になるけれど、何十億年という地球の話なら、まだ勤まるかなぁと思った。

地球温暖化が話題になっているけれど、今は氷河期である。
「何でや?」という突っ込みが入るけれど、北極や南極をみればわかるし、氷山も流れ着く。
この氷河期は、三億年前にもあり、さらに三億年前にもあった。
この周期で行くと、“三億年後に再び氷河期”は訪れると言うことかな?

因みに、恐竜の時代は氷河期ではなく、海抜が今より100メートルから300メートル上昇していた。
北極や南極が溶けたにしても、せいぜい100メートルぐらいしか上昇しない。
その200メートルの差は何かというと、海底が常に熱を帯びていて膨張させていたと言うのだ。

かつて聞いたり読んだりした話も、あらためて聴くと、新しい想いに駆られる。
第一部「現在の気候はどのように成立したか」しか拝聴できなかった。
第二部は「地球科学問題を地球科学からとらえる」








智者猫の歳時記

台湾のお酒をいただいた。
品名 “八八坑道陳年ニ鍋頭”とある。
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産品種類 “白酒”
酒精成分 60度
とても、ひな祭りの“しろ酒”というわけにはいかない。
匂いはキツくて、ひょっとしたら“泡盛”に近いのかもしれない。

でも口に含むと、頭から強いと思っていたが、意外に口当たりがよく、甘さが広がる。
これってどんな飲み方をするんだろう?
どんな料理に合うんだろうと考えてしまう。

智者猫処の居候

説明するのが苦手なものだから、うまく伝わっているとは思わない。
まして、“自分のこと”になると、ことばを見失ってしまう。

別にうまく喋ろうとしているわけではない。
同じことばでも、意味合いが違うのではないかと、疑ってしまうからだ。

これほど“ことば”に、不都合を感じたことはない。
それも、“思いやり”ということばが、働いているからである。







智者猫処の居候

春は物憂い。
目の前の景色が静寂しているのに、遠くからのみ、物音が聞こえてくる。

動かない風景を、何の感情もなく見つづけていると、。
旅愁”とは、こんな気持ちのことかなぁ?と思ったりする。



智者猫処の居候

春は、人待ち顔にさせる。
充てもない期待が、ふくらんでいくような感じなのだ。

しかし、日が経つにつれ、「ちょっとちがうなぁ」とわかってくる。
春愁”とは、そのようなものではないだろうか?








智者猫処の居候

四月は、みんなが“一年生”のような気分になる。
そのことは、お年寄りの表情を見ただけでもわかる。

年があらたまるのは正月だけど、気分が若返るのはこの四月なのだ。
チューリップが咲き、桜が満開になると、人の表情がほんとうに明るくなる。
いちねんせいになったら

智者猫の図書

散る花の言葉を、一言も逃すまいと思う。
その語らない花の言葉を、どのように理解すればよいのだろうか?

週何度か施設や自宅を訪問し、お年寄りの悩みや不安に耳を傾け、違いのコミュニケーションの中でお年寄りの心の負担を軽くする活動が、“傾聴ボランティア”である。
       (生きがい倶楽部『団塊世代のためのボランティアガイド』)



言葉は、必要不充分である。
その不充分さを埋めるために、人は成長していく。





智者猫の歳時記

花見の頃、必ずと言ってよいほど雨が降る。
しかし、今年の春の寒さは、かえって桜を残している。

智者猫の歳時記


上記の色紙は、『熊野(ゆや)』という“能”の一齣である。

熊野とは、平宗盛が寵愛する白拍子で、老母の病状が一段と進んでいる報せが入った。
早速、お暇を申し出たが、花見がすむまでと許されなかった。

清水寺の花の下で酒宴が始まり、熊野が舞っていると、村雨(にわか雨)が降ってきて、花を吹き散らす。 

 いかにせん、都の春もをしけれど、馴れし東(あずま)の花や散るらん  
                 (森山泰夫『読んで味わう能の名句』)

“東の花”とは母のことである。
これが何の説明もなく、床の間に飾られている。


智者猫処の居候

肩を凝るような寒さである。
しかし、この春の寒さには意味がある。

春雷が「起きろ起きろ」と叫び、“木の芽”がグィグィと伸びようとする。
そこへこの寒さである。

春の寒さに出会ったら、“木の芽”を見ることだ。
とりわけ春の夜の“木の芽”には、輝きすら見ることができる。
山椒(朝倉ザンショウ)

智者猫処の居候

連日の雨で、傘を手放すことができない。
おふくろさん』は、♪お前もいつかは 世の中の 傘になれよと 教えてくれた♪

しかし、傘をたたむと世間が見える。
どうせなら、“肩を凝らない人生”を歩きたいものだ。

智者猫処の居候

昨日、雷に出会った。
雷は怖いものである。

しかし、“春雷”と響けば、芽や蕾に力強い息吹を与えているような気もする。
春の雷だから、“春雷”というのではなく、もう五月が近いことを告げさせているのだ。

智者猫処の居候

今日のような雨の日、とりわけ深く自問している。
その姿に、時折ハッとするのだが、それを『春』の所為にするつもりはない。

しかし、呪文を唱える“陰明師”のように振る舞うのは、どう見てもおかしい。
それも昨日、満開の桜に身をおいたことと、深い関わり合いがあるのだろうか?


智者猫の図書

本は行動的である。
自分への旅”が続けられるのも、『本』という行動学においてである。

耳で学ぶことばは、頭に残らないが、書を読む文字は、何らかの刻みを残す。
しかし、憶えが悪いので、一句一句を思い浮かべることができず、耳学とほとんど変わらない。

ここで誤解のないように言っておくと、耳学はりっぱな即学であり、あるいは速学というべきかもしれないが、それは普通以上の才能を持ち合わせた人にしかできないことである。

凡人は、活字の中で思索する。
最近はインターネットの検索も頻繁に行われるが、その“検索”ということであればそれでいい。

“思索”と言うことになると、読み込みをしなくてはならない。
読み込みとは、『文字通り』と『文字裏』を読むことであり、まさに自分を行動に駆りたてる推敲の仕方なのである。

自分への旅”とは、ひょっとしたら借物かもしれないが、いつのまにか自分のことばになって、みんなに支えられながら行動していく旅である。


智者猫の歳時記

桜が満開である。
そんな時に限って、風が強く吹きつける。
遠くからその桜を見ると、まるで懐古映像である。
満開の桜の風景が、黄砂塵に覆われているのである。

s-DSCN1332.jpg


しかし、桜は人をひきよせる。
それは人々の表情を明るくし、誰もが美しくなるからだ。

この時期になると、どうしても梶井基次郎の、“桜の樹の下には”が頭にこびりついてしまう。
それでも、子どもからお年寄りまでの、その表情を見ていると、まさに生命(いのち)のおもてなしを受けているのではなかろうか?

ただ今、見習中

やっと、デジカメの画像を縮小して、ブログに載せることできた。
ダウンロードしたのは、ベクターの『縮小専用』ソフトである。
しかし、これも使用方法がはっきりせず、なかなか決めることができなかった。

\茲此画像の入ったファイルを開く。
◆惱名専用』ソフトを開く。
アップロードする画像を、『縮小専用』ソフトへドラッグ&ドロップする。
げ菫の入ったファイルに、s−jpgができる。
イ海裡鵝jpgをクリックして、画像挿入の参照ボタンをクリックする。
これで縮小画像ができるので、“記事を書く”をクリックする。
それで縮小画像がブログに掲載される。

ただ今、見習中


これであれだけ苦悶した縮小画像ができたのだが、途惑ったのはs-jpgである。
なにしろ、ファイルに画像が映し出されないので、s-jpgをダブルクリックして確認したら、「サポートされてない形式です」と表示された。
これで完全に騙されたのだ。

何回も試行錯誤しながら、やっと辿りついた教訓は、もっと素直にならねばと言うことか?

あとはこの画像を、読者が拡大表示して見てもらえるようにする必要があるのだが・・・。

やれやれ、まだまだ未熟の道は続いているのだ。

ただ今、見習中

1999年に購入したwindows98を使いつづけているけど、未だに未熟者である。
まだ10年にはなっていないけれど、ときどき不具合が生じる。
そんなパソコンにエラーんp表示が届いた。

「このエラーは、an application using C Runtime (Msvcrt.dll) が原因で発生した可能性があります」

他にも、「MSVCP60.DLLファイルは、欠落エクスポートMSVCRT.DLL_lc_collate_cpにリンク」

自分の未熟さを棚に上げて、『これらは、マイクロソフトの功罪である』と言いきる。
しかし、たとえIEが開かなくても、マイクロソフトの技術情報は手を差し延べてくれる。
今までのトラブルが集積され、それに向けてシューティングする準備ができあがっているのだ。
これこそ、マイクロソフトの“美しい功罪”ではなかろうか?

つまり、未熟さを一枚一枚脱皮していく度に、いつかは両翼を広げて、自由にWEBを飛翔する、そんな美しい夢を抱かせてくれるのである。


智者猫の歳時記

今日の夕飯は、イカのステーキとアマゴである。
イカのステーキは、イカを中心にした蒲鉾の感じであったが、年老いた母は、美味しいと食べていた。
アマゴは、養殖であったけど、骨も残さないぐらい美味しくいただいた。

渓流で釣ったつもりで?おっと、ぼくの場合はグルメより、どんな酒をいただくかに心を奪われるのだが・・・。

智者猫の歳時記

それにしても、朱の斑点が鮮やかである。
実を言うと、鮎は食したことはあるのだが、アマゴについて言えば、今日が始めての、記念すべき日かもしれない。

しかし、この時期に養殖などが出まわると、歳時記の判断も狂ってしまうのだが、我々にとっては、安く食することのできるあり難さである。

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